映画と小説『ニシノユキヒコの恋と冒険』

ずいぶん前にWOWOWで放送されたときに録画しといた映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』をやっと観たんだけど、「あれ、こんな内容だっけ?」というのが最初の率直な印象。
というのも僕は元々この映画の原作となった川上弘美の小説版『ニシノユキヒコの恋と冒険』が大好きで、なんだかあの小説に抱いていた作品への印象とずいぶん違ったような気がしたから。

とりあえず予告編。

ということで10年以上ぶりに小説版を読み返してみた。

するとやっぱり僕の中で小説版の中で重要と感じていたエピソードが省かれていたり、他のエピソードとミックスされていたりしていた。
特に小説の中でたまにザクッと切り込んでくる冷たさや怖さ、ちょっとした狂気の部分が、映画版ではほとんど描かれず、ずいぶんマイルドな味付けになっているように思う。
いや、だからといって映画版を否定しているわけではなく、僕が面白みを感じた部分とこの映画版の井口奈己監督が面白みを感じた部分が違っていたのか、あるいは「映画」というメディアに乗せるための試行錯誤の結果こうなったのだろうなと思うので、その辺は井口奈己監督の描き方を最大限に尊重したい。

で、映画としての『ニシノユキヒコの恋と冒険』はどうだったのかと言えば、ちょっとかったるいところはあったけど、なかなか楽しめる映画だったなと思う。

小説版にも要素があった「ファンタジー」や「おとぎ話」的な要素をちょっと膨らませてうまく狂言回しを配置し、小説版のエピソードを再配置してオリジナルの要素も少し付け足して2時間の映画というパッケージにした監督の手腕は見事だなと思う。
先に書いたように僕が小説版に感じていた「冷たさや怖さ」はなくなってしまったけど、そこを丁寧に描こうとすれば2時間じゃ収まらなくなるような気もするし、そもそもそこを丁寧に描いていたら小説版が全体的に漂わせている「おとぎ話」的な雰囲気を維持するのは難しいとも思うし、結果、この映画版のようにわずかな台詞で「冷たさや怖さ」の要素を流して、あとは稀代のモテ男ニシノユキヒコがスルリと周辺の女性達の懐に入り込み恋愛を繰り返す様をハッピーにリアルに、ちょっとだけ苦く描いたことは正解だったんじゃないかなと思う。

キャスティングもなかなか上手く、それぞれに可愛らしく魅力的な女性達がニシノユキヒコに惹かれて行く様子はリアリティもあったし、なにより女優陣のいちゃついてる演技が良かった。そして彼女たちの欲望を吸い込んでいくニシノユキヒコ役の竹野内豊がイメージ通りで素晴らしかった。

ただ、これは監督の切り取り方の問題だと思うんだけど、もうちょっとニシノユキヒコの仕草や表情で彼の「女性に対する才能」と「誰とも結婚せずに終わるしかない業の深さ」を見せて欲しかったなと思わないでもないかな。
でもそこは結局好みの問題というか、この作品、特にニシノユキヒコを何になぞらえるかの問題というか、そこのプライオリティの問題だとも思うので、この映画の描き方が悪いというわけではない。

うーん、でもやっぱりもうちょっとその辺を数秒で良いから鋭く見せといた方が、単に優男というか優柔不断な男としか見られないことは避けられるんじゃないかなと思うんだけど、いや、やっぱり余計な事は描かずにあくまでニシノユキヒコが女性の欲望を察知し受け止める才能に焦点を当てることにこだわった方が良いのかな、うーん、悩ましい。

あと最後の母子の会話もちょっと蛇足だと思うんだけど、でもこういうの入れた方が良いのかな、商業的な問題なのか、それとも監督のコンセプトの問題なのか、それによって蛇足かどうか判断が変わる感じかなあ。

いろいろ書いたけど、結局のところ井口奈己監督がニシノユキヒコという存在の要素の一部分をご自身になぞらえているのならこの映画の描き方で正解だと思うし、そうじゃなかったら、違う描き方の方が良かったのかな、と思うな。
どうなんでしょ?

あーそうだ、これ小説版を読まずに観たらどうなんだろう、たんにユルい恋愛映画に見えちゃうのかな。
もしそうだとしても尾野真千子、成海璃子、木村文乃、麻生久美子、阿川佐和子といった女優陣がデレていちゃつく様子はなかなかの見所だと思うかな。それと中村ゆりかの演技もなかなかの見所かな。それと竹野内豊のどんな年齢の女性と一緒にいてもちゃんとカップルに見える様子も見所。
それ以外の見所は、観る人のそれまでの人生に根ざすような気がしないでもない。

一応ネタバレしないように気をつけて書いていたんだけど、その結果めっちゃ曖昧な表現ばかりで申し訳ない。

小説版は個人的には超お勧め。

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